- THE JOURNAL

March 9th, 2015

I’ll be My Way

たしか1988年3月だった。初めての海外はバイイングでのLA。その頃はパスポートの発給に 銀行口座の残高証明が必要な時代だった。ある金額の残高が無いとパスポートが手に入らない ということで、一時的に親に借りた記憶がある。

その話はある時、急に訪れた。「海外出張に行くからパスポートを取っておいて」。社長からの 言葉にどうしたらいいのかもわからず、あやふやなまま県庁に行ったのだ。そして一週間後、 手に入れたパスポート。何か言いようのない新しい世界(この場合“海外”という意味ではない)に足を踏み入れた気がした。そしてとても嬉しかったのを今も覚えている。

「今回の出張は次シーズンの仕入れでLAに行きます。先に行っているからホテルまで来て」。 成田空港にも行ったことのないのにいきなりLA、それもひとりでホテルまで!どんな仕事を するのかというよりも、ホテルにたどり着けるかの方が大事な任務になっている自分がいた。 ビビリな性格はこんな時、異常に心配性になる。成田空港にはどうやって行くのか旅行社の 知人に聞けば、「2時間前にはチェックインして下さい」と言う。2時間?その意味もよくわ からないまま、心配性は3時間前にはしっかりチェックインを済ませ、出国審査を終え免税 店なんかをぶらついていた。その時はまだ時間があったはずだった。

デパーチャーの案内板を見ると、出発時間が近いはずなのに、自分の乗るLA行きの便は下 の方に表示されている。初めて飛行機に乗る自分は、勝手に案内板の「上から」順番に、出 発すると思いこんでいた。乗る前から飛行機はよく遅れるなんて事を耳にしたから、勝手に まだ飛ばないと思い込んでしまったのだった。気づけば最終搭乗案内がアナウンスされてい る。ここまで来て乗り遅れるなんて!大急ぎでゲートにたどり着いた。ゲートにたどり着け ばなんとかなると思いながら。しかしである。無情にも飛行機はそこにいなかった。なんと そのゲートからバスで飛行機まで行く仕組みになっているらしい。バスが来るのを心配して いたら最終のバスがゲートに現れた。ターミナルも少なくゲートを効率良く使う術なのだろう。今はLCCがそのように空港を使っているのだ。

やっと飛行機に乗りこめば、てっきり日本人と思っていた隣のおばさんに英語で「今何時?」 って聞かれるし。(日本時間しかわからない自分は日本の時間を教えましたが、正解は何処の 時間だろう?)CAさんとのやりとりも(外人、いやこの場合外人は自分?)想像の通りです。 トラウマになりかけながらやっと着いたLA。ホテルで待ち合わせのはずの社長を到着ロビー で見つけた時には子供のようにほっとしたことを今でもよく覚えている。

その後の数日間は心配性がたたり眠れず、食べられずの日々。仕事もできているのかいないの か。成果があったとは到底思えない。初めての海外出張はほろ苦いものだった。が、初めての 海外での車の運転。体育館のような大きいスーパーマーケット。そこで買って食べたオレンジ の味。カリフォルニアの思い出はどれもこれもヴィヴィッドに記憶に刻まれている。この経験 がその後の自分を作っているのは紛れもない事実だし、これと同じ経験と感動をスタッフにも させたいと、いつも思っている。

※ まだ長い距離をフライトすることのできない時代で、アンカレッジ経由で給油をして飛んで いた。ANA(全日空)はこのわずか1年8ヶ月前に初めて国際線の運行を開始した。その路線 が成田〜ロサンゼルス間である。この年から29年がたった。

1986 S61年 7.16 成田 ロサンゼルス間運行開始